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【エンジニアスタッフインタビュー】炎上案件をいくつも鎮火してきた新堀さんのこれまで
【エンジニアスタッフインタビュー】炎上案件をいくつも鎮火してきた新堀さんのこれまで
2023.07.19

フライクのテクニカルマネージャー・システム組立屋の新堀さん。

前職でもエンジニアとして数々のプロジェクトに関わる中で、どんな想いでこれまでを歩み、どんな経験をしてきたのか。

今回はこれまでの人生の分岐点や、経験から学んだことなどを伺いました。
ぜひ、最後までご覧ください!

新堀さんのプロフィール

  • 名前:新堀 立樹(シンボリ リツキ)
  • ニックネーム:ちゃんりつ、りっちゃん
  • 入社歴:2年3ヶ月
  • 所属部署:システム鍛冶職人(テクニカルマネージャー)
  • 出身:熊本県菊池郡
  • 年齢:27歳(1996年4月26日生まれ)
  • 趣味・特技:娘と遊ぶこと、音楽を聞くこと、Youtubeを見ること
  • 長期休暇が取れたらやりたいこと:海がみえるテラス席で2週間ぐらい過ごしたい。ご飯食べて、お酒飲んで、プログラミングしたり。適当に海に入ったりしたい。(海のある開放的でパソコン開いて仕事したい)

エンジニアを志したきっかけと幼少期の夢

ー 前職ではエンジニアをされていたということですが、IT業界を志したきっかけはなんですか?

小学校5年生、10歳のときにみたブラッディ・マンデイというドラマにあこがれたのがきっかけですね…!その時に天才ハッカーになろうと心に決めました。

ー そうなんですね!あまり詳しくないのですが、ブラッディ・マンデイってどんなドラマなんですか?

学生のハッカーがテロの組織と戦うドラマだったんですけど、みて「こいつやべぇな」って思いましたね。真っ黒い画面に緑の文字で打ち込んでいくところにとても憧れました。

ー 小学生からハッカーを志していたんですね…!

そうなんです。もっと遡ると幼少期に、家にあったワープロでおもちゃとしてカタカタ遊んでいたそうなんです(笑)歌詞カードをそのままタイピングしたりして。ブラッディ・マンデイに出会う前からそういうことに興味があったのかもしれないですね。

ハッカーになるためにやってきたこと

ー その後はどのようにして夢を追いかけてきたのですか?

まずは工業系の学校に行きながら、プログラミングを勉強しました。早くお金を稼げる大人になりたいと思っていたので、就職しようと思っていたんです。

ー 実際にはされなかったんですか?

そうですね。家族に相談した時におばあちゃんが泣きながら言ってきたんです。「お前はプログラマーになるんじゃないんか?」って。

その時、ハッとしてもっと掘り下げて勉強ができる短大にいくことを決めました。

ー なるほどですね…。家族からの熱い応援を受けてプログラマーとしての第一歩を踏み出されたってことですね。

そうなんです。ですが、短大ではあまり馴染めずにプログラミングの勉強ばっかりしてました。友人関係は最悪でしたね(笑)

ー 前職もエンジニアだとおっしゃっていたのですが、新堀さんがフライクにジョインするまではどういったキャリアを歩んできたのか教えてください!

そうですね。最初にSalesforceというツールの代理店で熊本にある会社に就職をしました。プログラマーとしての第一歩です。夢を叶えた瞬間だったのですが、この時に現実を知りましたね。

ー えぇ!何があったんですか?

プログラマーって設計書通りにプログラムを進めていくんですが、出来上がった時にすごい満足感があったんです。

その後は福岡に転勤をして、お客さん先に行くようになったのですが、出会ってすぐに「システム作ってもらったけど、全然使えてないんだよね」とお叱りを受けて、そこからは炎上案件の鎮火を進めました。

ー プログラムを書いていた頃は知らなかった現状を知ってしまったんですね。

そうなんです。これまで「完璧なプログラム」を作っていたつもりではあったんですが、話を聞いてみると誰も使っていないし、使えないとおっしゃっている。そのギャップを目の当たりにして、「今まで何やってたんだろう…。」というのをすごく感じました。

炎上案件を乗り越えて得たものとは

ー 炎上案件って具体的には何があったんですか?

まず、燃えるべくして燃えている。ということですかね。システムを入れることを目的として進めているから、導入した後に「なんか違うんだけど」と何も問題を解決していなかったんです。

そうなった結果、お客さんからしたら高いお金を払ったのにどうなってんだ?ってなりました。

ー 大変ですね…!

でもやるしかないんです。なのでまずは新堀 立樹という一人の人間として誠意を見せようと決めました。しっかりと謝罪をして、前向きに進めましょう!とお話をしていったんです。すると少しずつですが、お客様も納得してくれるようになりました。

ー あまりない経験をされたと思うのですが、振り返ってみて学んだことはどういった部分ですか?

人としての誠意を見せることですかね。怒っている相手と話をしに行くってすごく嫌じゃないですか。

一週間くらい前からお腹痛くなったり(笑)

でも、お客様は僕に怒っているんじゃなくて、システムが使えなかったことに怒っていたわけで。そこで、一人の人間としてその場に行き、笑顔を忘れないようにそしてポジティブであり続けることを続けました。

一緒にここから上がっていこうぜ!ってお互いの改善を回し続けました。

フライクとの出会い

ー そこからどのようにしてフライクと出会ったんですか?

元々知っていた人からの副業の紹介でフライクとは出会いました。

大瀧さんとまず面談してこれからよろしく〜みたいな感じで副業がスタートしましたね。

ー 炎上案件をしながら副業って大変だと思うのですが、なぜやろうと思ったんですか?

うーん、理由的には2つあって、

1つ目はその時にまさにその時感じていたギャップを埋めてくれると思いました。
この人たちはシステム屋さんではない!コンサルからやっていくんだと思いました。

今思うと何で炎上していたのかの本質はこの時に理解したと思います。

もう1つは働いている人の眼が全然違ったということですね。

ー 眼が変わったというと?

その人は前職で一緒に働いていたのですが、その時は疲れ果てて死んだ魚のような目をしていて、生き生きとした顔になっていたんです。

なんで?って聞くと「楽しいっすもん」って。

なので初めてあった時の印象はそこまで強くなかったのですが、一緒に仕事をしていく中でこの会社はなんか違うぞ?と思うようになりました。そしてフライクのスタイルに感動して、ジョインしました。

大きな壁を乗り越えて得た考え方

ー フライクに入社してから一番難しかった・不安だったことって何ですか?

ん〜、ないですね(笑)
強いて一つだけ挙げるとするなら、紹介してくれた人含めて先輩社員2人の退職があったときですかね。大瀧さんと二人で今までのお客様に対応しなきゃいけなくなって、誰も頼れない状況になった事があって。

ー 具体的にどういう状況だったんですか?

先輩が担当していた案件に関しては全然知らなくて、まず「お客様どうするんだろう」と思いましたね。入社して半年、サブでお客さんを担当させてもらっていたので、その引き継ぎをどうしようか悩みました。

メインでやらせてもらうってことは責任は全て僕にあるということなので、正直辞めようかと考える日もありました。

ー どのようにしてその状況を乗り越えたんですか

自分がやるしか無いって状況だから、めちゃめちゃやりましたね。
いなくなっちゃったから、フロントに出てお客様と一緒に頭を使って考える状況に自動的にそうなっていました。

何をしたかと言うと、まずは「現実を知る」ことをしました。

先輩の書いたソースコードを一つ一つ見直して、書き直してを繰り返しているうちに、ソースコードの綺麗さ、見やすさがわかるようになりましたね。

ー そこが覚醒のタイミングだったってことですね。

そうですね。ソースコードがどういうロジックで動いていて、なんで汚いのか、どこで止まっているのかを本気で考えて進めていきました。
今はChatGPTとかで簡単にプログラムが作れる時代になったけど、根本としてプログラミングの事をわかっていないといけないし、そういう”何となく動く状態を減らしたい”という思いが芽生えました。

ー ありがとうございます。最後にエンジニアを目指している人に対してアドバイスをお願いします!

エンジニアって勉強していけばある程度のレベルまではいけると思うんです。
様々なメソッドと法則の暗記なので、まず勉強をして根本を学ぶべきだと思います。

そこを前提として、自分はなんでプログラミングをやりたいのかを自分の中に考えてもっておくと、辛いときも乗り越えられます!がんばってください!

【動画】新堀さんの人生曲線をご紹介!

人生曲線を使って新堀さんのキャリアについて深掘りして聞いています!

こちらより覗いてみてください!

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