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フライク創業ストーリー ~フライクはなぜできたのか?~
フライク創業ストーリー ~フライクはなぜできたのか?~
2025.12.19

こんにちは!フライク採用広報チームです!

今回は、「フライク創業ストーリー」と題して、代表取締役の大瀧にインタビューを行いました。

フライクを創業するきっかけから、大瀧さんの「フライク」への想いや考え方などを深掘りしています。ぜひご覧ください。

会社の外に飛び出してみた〜「副業」という形態の使い方〜

—はじめに、フライク創業のきっかけについてお聞かせください。

大瀧:まず、freee時代に副業をしていたんですね。どのような内容だったかというと、「ふくおかクラウドCafe」というITツールに関する情報発信やアウトプットをする場で、1~2ヶ月に一度人を集めて私がパワーポイントを用意して発表するというようなことを行っていました。

そういったコミュニティ運営を続けているうちに、freeeで平日の10時から19時まで働く時間よりも、「ふくおかクラウドCafe」で朝の6時から10時、夜の19時から23時までがむしゃらに働く時間の方が楽しくなってきたんですね。

年収は1200万〜1300万を超えていたのですが、「あれ俺何のために働いてんだっけ」「全然幸せじゃないな」という気持ちの方が強くなり、「なら楽しい時間を過ごせている時間を仕事にしよう!」ということで、会社を設立することにしました。

—そもそも「ふくおかクラウドCafe」のようなコミュニティを作ろうと思った理由は?

大瀧:当時freeeが上場するとなったときに「freeeとSalesforceを一緒に売るのをやめよう」という話になったんですね。

当時の私としては「Salesforceが売れたらfreeeも売れるし、freeeも売れたらSalesforceも売れてお互いにWin-Winじゃないか」という考え方で、私自身もそういったツールの組み合わせを得意としていたのですが、上場の話が出たときに「Salesforceの案件が炎上していたらそれがチャーンのリスクがあるから」という理由でこの売り方をやめるように言われました。

その際に「だったら私が辞めます」ということで、「(売り方を)やめる」を湾曲して「(自分が)辞める」というのを伝えました(笑)。その際は「いやいやマネージャーだし辞められるわけないじゃないか」と言われてしまったのですが、「でも楽しくないじゃないですか」とやり取りをして「なら副業でやったら?」という話に帰結して、副業として情報のアウトプットができるコミュニティを作ることにしました。

なので、副業といっても「稼ぎたい」という理由からではなく、自分のやりたいことを「副業」という会社の外に飛び出してやってみたという感じでしょうか。

—そのコミュニティからフライクがスタートするんですね。

大瀧:まずフライクを設立する前に、「3rdコンサルティング株式会社」という名前で会社を起こしました。2019年の11月22日に登記をして、2020年1月5日にfreeeを辞めてその翌日の1月6日から実稼働を開始しています。

そこからフライクになったきっかけは、3rdコンサルティング株式会社の設立日が、宿命や縁起があまり良くないということだったので、「このタイミングで変えよう」と2021年の9月1日に株式会社フライクが3rdコンサルティング株式会社を吸収合併という形で設立しました。

「フライク」=「Who Like」

—株式会社「フライク」と名付けた由来について教えてください。

大瀧:「フライク」という言葉にはさまざまな言葉が含まれているんですけど、一番最初に思いついたのは「Who Like」ですね。

「誰と仕事をするか」「誰とビジネスをするか」というのも含め、私自身「好き」と「嫌い」がはっきりしているというのと、freeeの「会計帳簿」という機能を使っていると、取引先を一覧で見られるんですね。

その時に「このお客様から“ありがとう”と言われて仕事ができるのは嬉しいな」という気持ちから「好きな人と働いて、好きな仕事をして、好きなお客さんで埋め尽くしたい」=「Who Like」=「フライク」と名付けました。

—「フライク」=「Who Like」という発想は面白いなと感じました。

大瀧:先ほど私自身の好き嫌いの話をしましたが、その延長線で、私が死んだとき葬式の席で息子や娘に「あのとき大瀧さんがいたから助かったんだよ」と声をかけてくれるとしたらどのお客様が言ってくれるかなと。そしてそういうことを言ってくださるお客様を増やすにはどうしたらいいかなと思いました。

そうなると、前回のインタビューのときにもお話ししたように他人資本に出ている場合ではないし、M&Aをされて私だけが弾を食らうくらいだったら、自分ががむしゃらに働いて自分の力でフライクって会社を大きくする方が面白いし、プロセスを見てもストーリー性があると判断して、M&Aは全て断るようにしています。

—ちなみに「3rdコンサルティング」の由来はどのようなものだったのでしょう?

大瀧:まずコンサルティングが好きだったので「コンサルティング」と名前をつけました。

“3rd”というのは、「Redesign(再設計する)」「Redouble(倍加する)」「Redefine(再定義する)」という3つの柱を表しています。よく「3rd(スリーアールディー)」ではなく「3rd(サード)」と読まれることもあるのですが、「第三者」という意味合いにもなるので、それはそれでアリだと思っていました。

—創業してからさまざまなお客様との出会いを経験していると思いますが、創業して以降印象に残っているお客様とのやりとりや案件などはありますか?

大瀧:そうですね、セブン・ペイメントサービス様とのお仕事は3rdの頃から携わっているのですが、初めて大企業から受注があった案件でしたね。

当時はコロナ禍だったのですが、直接会ってお話ししないとクロージングできないような状況で、私はマスクを二重にして慎重に会いに行き、先方も「私が来る」ということで(当時の)社員20名全員出社してくださったんですね。それくらい信頼していただけているんだなと嬉しかったです。

コロナ禍以降「Webだけで仕事を完結させられる」という考え方がだいぶ根付いたと思うのですが、「それでもお客様と直接会ってやり取りをする」ことの大切さを改めて認識しましたね。

—初めての大企業とのお仕事でしたが、そこまで信頼していただけた理由はどこにあると思いましたか?

大瀧:セブン・ペイメントサービス様曰く、様々なコンサルティング会社に問い合わせをして提案をしてもらっていたらしいんですが、その中で「Salesforceである必要あるんですか?」と唯一言ったのがフライクだったようです。

2025年現在、他の企業様とお仕事させていただく機会が増えたので、それぞれの会社との印象に残るエピソードはたくさんあるのですが、「一番最初」という観点で思い出に残っていますね。

「最低のシナリオ」にならない行動とポジティブなマインド

—コロナの時期の経営などは苦労されましたか?

大瀧:苦労はまったくなかったですね。

先ほどもお話ししましたが、「WebでOK」となったのも大きいですし、そこから「わざわざ東京の会社に発注しなくてもいい」というロジックが東京をはじめとする都市部の企業にも根付いたので、「ちゃんと伴走してくれる企業なら地方の企業でもいい」という文化ができたのは、むしろありがたかったですね。

—フライクを創業して以降、大瀧さんが「ここは苦しかったな」と感じた時期はありましたか?

大瀧:それが特に思いつかないんですよね。おそらく「今が最高潮」だという認識ではなく、常に「最高のシナリオ」「通常のシナリオ」「最低のシナリオ」の3つを想定しながら行動していて、その中でも「最低のシナリオ」にならないようにしているので、「厳しい」とか「苦しい」と感じたことがないのかもしれません。

もしかしたらその当時は瞬間的に「苦しい」と感じたかもしれませんが、振り返ったときにそういったネガティブな要素よりもポジティブな要素の方が勝っています。

例えば以前インタビューしていただいた「社員が私と新堀の2名だけになった」という時期も、私としてはそこまで厳しいとは感じなくて、むしろ「新堀が大きく成長した」ということや「私がやらなきゃいけない仕事と新堀がやるべき仕事」の線引きができたのも事実なので、むしろ良いタイミングだったと感じています。

私が明確に「苦しい」と感じた話になると、新堀と2人でたこ焼きをしこたま食べてお腹が痛くなったくらいの話しかないです(笑)。

「フライク」というチームのあり方

—もともと大瀧さんは「一人でできることはやる」というマインドだと思うのですが、そんな大瀧さんが会社を起こす際に「人を増やそう」と思ったきっかけは?

大瀧:案件が増え過ぎたというのもあるのですが、新堀から「人を増やしたい」と打診を受けたことですかね。

私自身はスポーツにおいても個人プレーが好きなんですよ。新堀はその逆で、チームプレーの方が向いている。しかも自分でゴールを決めるのではなく、誰かが決めたゴールを喜んだり、そのために仲間やゴールを守り切るというのが好きで。

なので私が能動的に「人を増やしたい」と思ったというよりも、新堀の負担を減らすという意味も込めて、彼の要望を受け入れたという感じですね。

—今のお話を聞くと、大瀧さんと新堀さんで思い描く「チーム」の姿が正反対だと思ったのですが、それでバランスをとっているという感じなのでしょうか?

大瀧:そうですね。私は思いきり一匹狼タイプで、新堀は人を育てたいタイプ。その正反対な2人がいた方が、現場の作りたいプロジェクトを円滑に回すための役割分担ができるので、それはそれでいいと思っています。

なので同じ「フライク」という組織ではあるのですが、私には私の「フライク」、新堀には新堀の「フライク」があるという感じですね。

やりたいことをやるための「フライク」

—フライクを創業したきっかけ自体は「大瀧さんのやりたいことをやる」ということだったということですが、そこから「システム導入成功率52.8%を100%に近づける」といった目的意識が生まれたのはいつ頃なのでしょうか?

大瀧:「いつから」というと難しいのですが、自分の中にもともとあった問題意識を引っ張り出した結果が「システム導入成功率52.8%を100%に近づける」という部分だったというのが正しいでしょうか。

3rdコンサルティングを個人事業主でも合同会社でもなく「株式会社」として立ち上げたのは、「上場企業とか大企業とか日本全体の生産性を上げていくために、システムは欠かせない」と考えたときに、ある人から「そういった意思決定のある人たちが果たして個人事業主や合同会社に相談するのは想像できてる?」と言われ、「いやできないです」って答えたら「なら株式会社という形で組織を作らないと」「人・物・金・情報でちゃんと悩んでもがいて解決策を見出すコンサルタントじゃないと相手も相談できないよ」と言われたのがきっかけなんですね。

そこから「フライクや大瀧のミッション・ビジョン・バリューってなんだっけ」を明文化していった時に、自分の中で一番付き合いが長い「システム」というのに帰結しましたね。

「誰もしないならやってみよう」

—創業5年目を迎えているフライクですが、起業から現在を振り返ってみていかがですか?

大瀧:まずは「会社を作ったからといって何もかもうまくいくわけではない」というところでしょうか(笑)。

まず現在の私の目標として「フライクの資本金を3,000万円にする」というのがあるんですね。そう思ったきっかけというのが、とある福岡の大企業から紹介のSFA案件が来たんですが、最終的に「フライクには依頼できません」と言われたんですね。

その理由を後でプライベートな席で聞いたときに「資本金・実績・会社の経歴」の3つが揃っていないと言われたんです。それなら福岡を中心としたビジネスをせず、リモートを介して東京に“出稼ぎ”をするつもりで進出して、自分の実力でロゴがしっかりしたお客様と培ったノウハウを活かして福岡のお客様にも展開しようと決めました。

あとはすごくおこがましい話ではあるのですが、フライクの本社かつ自分の地元である香椎からお金の流れを入れられる人っていないと思っていて。「いないんだったら私がやってみよう」となり、現在がありますね。

なので東京に進出したり、Youtubeなどで顔を出したりというのは私にとって目的ではなく「福岡で商売をしやすくするため」の手段でしかないです。
もしこういった私の考えを見て「面白いな」と思える人がいるのであれば、まずは面談でいろいろと意見を交換したり、世間話も含めてフランクにお話ししてみたいですね。